【ネタ】クリぼっちクリぼっちとか言ってるけど、それ意味わかって言ってんの? 可愛く言わず「クリスマスに1人ぼっち」とちゃんと言わないと大変なことになるぞっ! って話【クリスマス】

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はい超長いタイトルを書きましたけれども言いたいことは大体入れました。

まず一つ

「クリぼっち」

最近、クリスマスに一人ぼっちな方々が多く、そうした人たちが

「クリスマスに一人ぼっち」

という言葉の凄惨さに耐え切れずに軟弱にも編み出した言葉だ。

まあ、これのおかげでクリスマスに一人でも贅沢しやすくなったので精神的にも経済的にも良好な影響があるので良いとは思います。(謎のフォロー)

でもですね、「クリぼっち」って略すのはちょっといただけません。

それ、普通にサラリーマンとかOLとかしている人が言っちゃ大変なことになりますよ。

いや、別にクリスマスに恨みがあるとかじゃなく、こう言う背景にはちゃんとした理由があるのです!

ってことで、語源等をもとに、クリぼっちの真意に迫っていこう!

まあ、クリスマスってのは会社員にとっちゃただの月末デスヨ。

だから、恨むも何もないんですけどね。

1.クリぼっちとはどういう言葉なのか

1-1.クリぼっちという言葉とは何なのか?

クリぼっちはクリスマスに一人でいることを、肯定的に指した言葉です。

クリスマスとは本来、家族など大切な人と過ごして聖なる日を祝うもの。

で、それが日本に伝わって以来、パリピなりなんなりによって転じて転じて転がされ、最終的には恋人と祝うのが普通のようになってしまいました。

その結果、一人でクリスマスを迎えるのが・・・

「一人とか寂しいヤツ」「クリスマスなのに・・・」

といった別に何でもないのにネガティブな印象を持たれるようになりました。

で☆す☆が!

「お一人さま」という言葉が見られるようになって久しい昨今、SNSも発展してきて、クリスマスに一人で過ごす人も一般的になってきました。

それに、「寂しいヤツ」とかいう他人の評価基準より、ゆとり、さとり世代などという自分の評価基準で楽しく生きていけばいいという思想がようやく認知されてきました。

と、その結果「クリぼっち」というクリスマスに一人でも肯定的かつ一般大衆に受け入れられやすい言葉が生まれてきたわけですな。

1-2.クリぼっちとは「クリスマス」と「一人ぼっち」である

さて、このクリぼっち。

言わずもがなですが、「クリスマス」と「一人ぼっち」を掛け合わせた言葉

「クリスマス」を「クリ」と略すのはまあ、「メリクリ」とかいう前例もあるし一般的と言えば一般的でしょう。

「スマス」とは略しませんもんね。

「あ? そういや明日、↓スマス↑じゃね?」

割りとリズムはいいけれど、言いづらいことこの上ない。

とはいえ、クリスマスはChristmasですんで、「クリ」と略すと・・・

「Chri」stmas つまり キリスト ⇒ キリ と略さなければおかしい。

んで次、「ぼっち」の部分。

これ「一人ぼっち」の略としては一般的ですね。

「ぼっち」

これだけでもうネガティブな言葉に見えてきますけど、クリぼっちはポジティブな言葉に見えるからメディアの力ってすげー。

2.クリぼっちを語源的なところから意味を探ってみた

2-1.クリスマスという言葉について探ろう

英語の Christmas は、「キリスト(Christ:クライスト)のミサ(mass:マス)」に由来する。これは、古英語の Crīstes mæsse(初出 1038年)が、中英語において Cristemasse となり、現在につながる。

Wikipediaより引用

えっとつまり、キリストのミサ(礼拝)ってことですね。

まあ、実態としてはキリストの生誕を祝う日なのですけれど、このクリスマスの語源としては以上のような感じ。

ここから、「クリ」という略語に繋げて考えてみると・・・

Christ ⇒ Chri

つまるところ、キリストという単語の一部を略しているにすぎず、礼拝を意味する「マス」までは表面上は内包できていないことが分かりますな。

2-2.一人ぼっちという言葉について探ろう

一人ぼっち」などと表記されることも多いが、本来の漢字表記は「独法師」や「独り法師」である。 独法師は、宗派・教団などに属さなかったり、離脱した僧侶の境遇をいった言葉で、あてもなく世の中を彷徨い歩くことを「独法師の三界坊」ともいった。 この「独法師(ひとりぼうし)」が変化した言葉が、「ひとりぼっち」である。

語源由来辞典より引用

これね、つまるところ、一人ぼっちは「一人で離脱した僧侶」のこと。

独り法師からきており、本来的には一人きりであることは「一人」だけでなりたっているのですが、ここに「法師」が変化して「ぼっち」としてついている。

「一人」「ぼっち」はそもそも違う言葉だったんですねぇ。

というところから考えてみると「ぼっち」という略はどうなんでしょうか?

一人であることを示すのは「一人」という単語でして、「ぼっち」は別に一人でもなんでもなく僧侶を示す言葉なわけです。

ので「ぼっち」は「僧侶」の部分しか表せていません

これは問題だ・・・。

3.真のクリぼっちとはこれだ! 実践しようクリぼっち!

さて、ではこれまでに調べた事象を論理的かつ演繹的にまとめて真の「クリぼっち」を実践していこうではないか!

では、おさらい。

クリぼっちとは・・・

 

クリスマス ⇒ クリ

一人ぼっち ⇒ ぼっち

 

と略した結果、「クリスマスに一人ぼっち」を表す言葉として定着した。

そして・・・

 

クリ ⇒ クリスマスの「Christ」部分しか内包できていない

ぼっち ⇒ 一人ぼっちは本来「一人法師」であり、「法師」しか内包できていない

 

 と、ここから導き出される答えはこれだ!

 

キリストでありかつ僧侶である人

 

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すまない、語源からクリぼっちをノリで紐解いた結果、果てしない宗教的矛盾を備えた言葉であることを解明してしまった・・・。

言うまでもないが、我々は無論、聖人キリストではない。

加えて、日本におわす一般的諸氏は僧侶である可能性は低かろう。

これだけでも不可能なのに「キリスト」が「僧侶である」とは、物理的にはないこともないが、宗教的、歴史的にはあり得ない矛盾を孕んだ単語ではないか!

なんて言葉を創造してしまったのだ我々日本人は!

「クリスマスに別に一人で過ごしてもいいよねー!!」

なんて軽いノリで、たかが「クリスマスに一人ぼっちで過ごす」という寂しき響きを掻き消さんとするがため、それだけのために!

西暦を越えたなんて壮大な宗教的矛盾を抱えた言葉を作ってしまったのだっ!

これは・・・これは・・・・・・

こんな単語をやすやすと放っていてはいずれ大変なことになるぞっ!

 

という、クリスマスの夜にテンション高く考えたお話でした。

ちゃんちゃんっ!

 

※いろいろ出てますがもちろんネタ投稿です。真面目、ダメ、ゼッタイ。